青山靈園
外观
墓地資料 | |
---|---|
修建时间 | 1872年 |
國家 | 日本 |
地点 | 東京都港區南青山 |
坐标 | 35°40′0″N 139°43′20″E / 35.66667°N 139.72222°E |
類型 | 公營 |
所有者 | 東京都 |
面积 | 約26萬平方公尺 |
網站 | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html |
青山靈園(日语:青山霊園/あおやまれいえん Aoyama Reien)是東京都港區南青山的都立靈園。
概要
[编辑]1872年(明治5年)設立,原為郡上藩(現在的岐阜縣郡上市)藩主青山氏下屋敷。最初為神葬祭墓地,1874年(明治7年)9月1日改為市民公共墓地。1889年(明治22年),青山靈園由東京府移交給東京市管理。1926年(大正15年),齋場建築等全部捐贈給東京市,為日本第一座公營墓地。
園內有維新三傑之一的大久保利通等近代名人墓碑、「解放運動無名戰士墓」、忠犬八公之碑等[註 1]。附屬立山墓地則有永田鐵山、木村兵太郎、相樂總三等。
青山靈園也是賞櫻名所,花季時期有大量民眾來此賞花。
青山靈園埋葬的知名人士
[编辑]軍事界
[编辑]- 奧保鞏(元帥陸軍大將)
- 上原勇作(元帥陸軍大將)
- 奧保鞏(元帥陸軍大將)
- 上原勇作(元帥陸軍大將)
- 野津道貫(元帥陸軍大將)
- 長谷川好道(元帥陸軍大將)
- 伊集院五郎(元帥海軍大將)
- 島村速雄(海軍元帥)
- 秋山好古(陸軍大將、日本陸軍騎兵創立者、教育者)
- 乃木希典(陸軍大將、教育者)
- 川上操六(陸軍大將)
- 川島義之(陸軍大將)
- 白川義則(陸軍大將)
- 菱刈隆(陸軍大將)
- 福島安正(陸軍大將)
- 大角岑生(海軍大將)
- 伊地知幸介(陸軍中將)
- 高島鞆之助(陸軍中將)
- 山口多聞(海軍中將)
- 秋山真之(海軍中將、日本海海戰時的聯合艦隊作戰參謀)
- 西竹一(陸軍大佐、男爵)
- 廣瀨武夫(海軍軍人)
- 伏見博英(海軍少佐,原伏見宮皇族)
政治界
[编辑]- 池田勇人(內閣總理大臣)
- 犬養毅(內閣總理大臣)
- 黑田清隆(內閣總理大臣)
- 小磯國昭(內閣總理大臣)
- 加藤高明(內閣總理大臣)
- 加藤友三郎(內閣總理大臣)
- 濱口雄幸(內閣總理大臣)
- 山本權兵衛(內閣總理大臣、海軍大將)
- 犬養健(犬養毅之子,法務大臣)
- 片山潛(政治家)
- 大久保利通(政治家、維新三傑)
- 川崎卓吉(政治家)
- 緒方竹虎(政治家)
- 後藤象二郎(政治家)
- 後藤新平(政治家)
- 下村宏(政治家、終戰時負責玉音放送)
- 副島種臣(政治家、佐賀人)
- 松方正義(政治家)
- 松田道之(政治家)
- 森有禮(政治家、初代文部大臣)
- 森恪(政治家)
- 牧野伸顯(官僚)
- 三浦梧樓(樞密顧問官)
- 金玉均(김옥균,朝鮮王朝政治人物,朝鮮開化派)
- 川路利良(警視廳大警視,日本警察之父)
外交界
[编辑]文學界
[编辑]學術界
[编辑]- 朝比奈泰彥(藥學家、化學家)
- 植木枝盛(思想家)
- 北里柴三郎(醫學博士、慶應義塾大學醫學部初代學部長、日本醫師會會長)
- 高峰讓吉(化學家、開發腸胃藥高峰澱粉酶)
- 中江兆民(思想家)
- 長岡半太郎(物理学者)
- 西周(啟蒙家)
- 頭山滿(思想家、玄洋社)
- 山川健次郎(教育者、九州帝國大學初代總長)
- 時枝誠記(語言學家)
- 上野英三郎(農業學家)
其他
[编辑]- 忠犬八公[註 1]
- 江藤淳(評論家)
- 藤村操(舊制高校生,1903年於華嚴瀑布投水自殺)
- 上山草人(演員)
- 河口慧海(僧人)
- 威廉·巴爾頓(William Kinninmond Burton,蘇格蘭工程師)
解放運動無名戰士墓
[编辑]立山墓地
[编辑]參考書籍
[编辑]- 浦邊登『霊園から見た近代日本』弦書房、2011年、ISBN978-4-86329-3
- 『歩いてみませんか歴史の森』 東京都建設局発行パンフレット
- 『青山霊園歴史的墓所ガイド』 東京都建設局発行パンフレット